TOPIC-3

国際ロボコンチームに所属しエンジニア志望に変化も

中学生で作成した、料理を客席まで運ぶ給仕ロボット「ペンちゃん」

合格後はロボット三昧の、夢のような学校生活だったのでしょうね。

立崎 そうですね。中学は電気部、高校は物理部と名前は変わりますが、活動内容は同じで、一からロボットを作る部活があり、もともとその部活に入るために受験したわけですから毎日がバラ色でした。中1の冬には、学校のある千葉県で、「FIRST Robotics Competition(以下FRC)」という国際的なロボットコンテストに出場するチーム「SAKURA Tempesta」が結成され、部活から先輩と2人でそのチームに参加することになりました。重さ60kgくらいの大型ロボットに関わる活動がとても面白くて、どんどんその活動にハマっていきました。

ということは、部活とそのチームの掛け持ちですか。

立崎 はい。チームとしての活動は年間通して行われていますが、FRCの大会は3〜4月にあり、そのルールが発表されるのが1月ですから、ロボットづくりは1〜3月の時期に限られ、短期集中で取り組まざるを得ません。ですから中1の冬以降は、毎年「3学期は部活に行きません」と宣言して(笑)、1・2学期は部活で、3学期はチームで、どちらにしてもロボット三昧の中高時代ではありました。

ロボットを作っていない時期にもチーム活動をしていたのですか。

立崎 FRCはロボットの性能だけを評価するのではなく、ロボットを入り口にして、社会に出たときに役立つスキルや、社会に出てからでないと経験できないようなことを中高のうちに体験することに大きな価値をおいています。「More Than Robots」をスローガンに掲げており、ロボットづくりに必要な資金集めやスポンサー探し、クラウドファンディングなども自分たちで行い、さらにはアウトリーチ活動(主に社会貢献活動)の方がロボット競技の成績よりも高く評価されるようなシステムになっています。ですから1〜3月以外はそうした活動がメインになるわけですが、チームに参加したことで、当初のエンジニア志望が変化していきました。

どういうことでしょうか。

立崎 チームに入った当初の目的は、大型ロボットを作るスキルを身につけることでした。しかし、チームから受け取ったものはそれ以上のものでした。企業の人とのコンタクトの取り方、メールの送り方、名刺の渡し方など、ビジネスの基本的なことを中1・2で学べましたし、イベントの企画・運営のノウハウも、企業の方と協働するなかで学ぶことができました。また、高2の時にはチームリーダーを務めることになり、メンタルやモチベーションも考慮しながら、メンバー一人ひとりと円滑なコミュニケーションをとり、チーム全体を一つの方向に向かって動かしていくスキルもだんだん身についてきました。こうした活動を通して、自分にできること、そして自分が社会に求められていることが、ロボットづくりだけではなく、ロボットプラスαでの発信活動だったり、何か新しいアクションを起こすことだったりではないかと感じるようになっていきました。

TOPIC-4

社会課題の解決を先導するリーダーでもあるエンジニアへ

最初に作った車型のロボットと、小学5年生のときに作ったオリジナルのカラーセンターを搭載したカニ型ロボット

それが、フェイスシールドを作って医療機関に寄付する活動にもつながっていくわけですね。

立崎 あれは高1のときでしたが、そのときにはすでに自分から社会に向けて行動を起こしてもいいんだということに気づいていました。現在では、ただのロボットエンジニアではなく、「社会課題の解決を先導するリーダーでもあるエンジニア」になりたいと思うようになりました。具体的な活動のビジョンはまだ固まっていませんが、そういう存在になるために、これからも学び続けていくことになると思います。

ところで、なぜギャップ・イヤーを選択したのですか。

立崎 当初は高校卒業後にすぐ留学するつもりで、出願準備を整えていました。ところが出願締め切りの当日の朝になって、まだ何か踏み切れない自分がいました。日本でやり残したことがあるように感じ、もう少し日本で自由に活動できる時間をつくるため、ギャップ・イヤーを取ることにしました。

そのときリバネスに入社することは決まっていたのですか。

立崎 いいえ。単純に自由な1年間ができたということで、どんなことに使おうかとワクワクしていた2月頃、リバネスから連絡がありました。小5でエンジニアになると決め、リバネスのロボット教室に通いはじめた頃からずっと関係性は続いていたのですが、「ちょっと手伝ってほしいことがあるのですが」というメールをきっかけに現状を報告すると、「じゃあ、リバネスで働いてみませんか」と。
そのまま話が進み、入社プレゼンをしてあっという間に社員になっていました(笑)。

今後の抱負を教えてください。

立崎 来年の4月末でリバネスの社員からいったん外れて、海外の大学に留学する予定です。現在もリバネスの業務の傍ら受験準備をしていますが、どんな進路を進むのが最適なのか決めかねている状況です。エンジニアリングは自分の最も得意な分野ですから、別に大学に行かなくても自分でやっていくだろうし、そうだとしたら自分が目指す「社会課題の解決を先導するリーダーでもあるエンジニア」に近づくために何を選択すべきか、今まさに模索中です。

最後に、新しく中学生になる読者にメッセージをお願いします。

立崎 自分はこれが好きというものを見つけてほしいと思っています。そのためにはいろいろなことにチャレンジしたり、いろいろな場所に行ったりすることが大切で、好きなことが見つかったら、それを1歩進めるチャレンジをしてほしいですね。1歩進むとまた違う風景が見えてきて、やりたいことがはっきりし、その次の1歩も見えてくるからです。また、できれば学校以外のコミュニティに所属できるといいですね。私にとってロボコンチームや企業の人たちとの連携が糧になったように、幅広い視点が得られると思います。

新中1生の保護者には何をお伝えしたいですか。

立崎 子どもがやりたいということは、とにかく応援してあげてほしいです。私自身、両親はもちろん、学校の先生にも、企業の方にも応援していただき、大きな力をいただきました。また、子どもにも、本当に好きなことが何かを迷い始めるタイミングがきっとあると思います。そんなときにその思いを言語化するチャンスを作ってあげることができれば、なおいいと思います。言語化することで、だんだん自分の考えがはっきりしてくるからです。

株式会社リバネス 製造開発事業部
ものづくり研究センター
モルティング ジェネレーター
立崎乃衣(たつざき・のい)さん

2004年埼玉県生まれ。2023年渋谷教育学園幕張高等学校卒。小3からロボット製作をはじめ、中1で給仕ロボットを製作。中高生による国際ロボコンチーム「SAKURA Tempesta」の元チームリーダー。
高校卒業後、海外大学への留学前にギャップ・イヤーを利用して、2023年度限定で現職に就く。エンジニアとして実用的なロボット製作に関わると同時に、多くの人を巻き込みながら社会課題解決のための様々な活動を展開している。