東京大学工学部3年次在籍中の2022年、株式会社neoAIを創業した千葉駿介さん。2024年にはForbes JAPANの「世界を変える30歳未満」の30人の1人に選出されました。学んだAI技術をビジネスに生かすために起業したと語り、海外展開も視野に入れています。中高時代の生活や起業に至る経緯なども含めて、今日までを振り返っていただきました。
TOPIC-1
中高は部活動が中心 男子校らしさも楽しむ

開成出身ですが、自分の意志で中学を受験したのですか。
千葉 小学4年から通いはじめた塾は親の意向だったと思いますが、志望校を決めたのは自分の意志です。出身の神奈川県にもいい学校はありますが、受験校を決める時期にちょうどテレビで「高校生クイズ(日本テレビ系列)」が放映されており、開成高校の生徒が大活躍している姿をみて、開成に惹かれました。神奈川の学校も受験しましたが、最終的に開成中学に通うことにしました。ただ通学は大変で、学校までは片道1時間半くらいかかりました。
中高時代はどのような活動に取り組んでいたのですか。
千葉 部活は天文気象部とバドミントン部で、現在仕事にしているAIやプログラミングなどにはまったく関わってきませんでした。中学時代はひたすら遊びまくった記憶がありますが、それでも天文気象部の活動は、星の動きに合わせてコンピュータ制御で天体望遠鏡を動かして写真を取ったり、オリジナルのプラネタリウムを作ったり、他校の天文部と交流したりと、けっこうまじめに取り組んでいました。このときの部活の仲間の1人とは現在も一緒に仕事をしており、深い交流が続いているといえます。
バドミントン部の活動はいかがでしたか。
千葉 バドミントンも中高5年間続けました。そんなに強い方ではありませんでしたが、何とか辞めずにがんばっていたという感じです。もちろん、男子校ですからそれなりにはじけるようなこともしました。たとえばバンドを組んでライブに出たり、友だちのお姉さんに手伝ってもらって女装したり……。みなさんが男子校と聞いて想像するような中高時代を送っていたと思います。
TOPIC-2
工学か医学かで迷い選択幅の大きな工学へ

進学先については、どのように考えていたのですか。
千葉 星が好きで宇宙に興味があったため、高1の頃からロケットなどを研究している東大の航空宇宙工学科に行きたいと思っていました。ですから東大の理科Ⅰ類に出願しましたが、慶應の医学部にも出願しました。親は医師ではありませんが、親を通して医師の知り合いが多く、いい職業だと思っていたからです。出願時点では、東大工学部か慶應医学部か決めかねており、どちらか縁のあった方に行こうと思っていました。
結局、東大理Ⅰに進学することになります。
千葉 実は進学に際しては大きな選択がありました。東大理Ⅰに合格して3日後、慶應医学部からも補欠合格の連絡があったのです。どちらに進学すべきかかなり悩みました。どちらもいい仕事ですが、サイエンスやエンジニアリングの世界と、医学や医療の世界とではまったく方向性が異なります。悩み抜いた末、最後は18歳なりの考えで、人生何があるか分からないので、できるだけ幅広い選択肢がある進路を選びたいと思いました。工学の方が断然幅が広いと考え、東大を選んだのです。不思議なことに、そのときに初めて物心がついたような感覚がありました。突然大きな人生の選択を迫られたことが大きかったのだと思います。
TOPIC-3
ビジネスの一端に触れリーダー経験を積む
学生時代はどのような活動に力を入れたのですか。
千葉 駒場地区キャンパス時代は「Business Contest KING」という団体の活動が中心でした。他大学も参加しているインカレサークルで、年に何回かビジネスコンテストを開催しています。一番大きな大会は、年1回日本全国から100人以上の学生が集まり、数日間の合宿を通してビジネスプランを練り上げ、プレゼンテーションで優劣を競うものです。様々な企業から協賛を受けており、その資金で運営を行っています。秋には2年生が抜けて1年生だけになります。1年の秋にその代表に立候補し、1年間代表を務めました。
なぜ、ビジネスコンテストのサークルに入会したのですか。
千葉 1つは、大学入学が最初のコロナ禍と重なり、テニスサークルなどオフライン系のサークルは軒並み活動が止まっていたのに対して、ビジネスコンテストサークルはオンラインで活動できたからです。もう1つは、せっかく大学生になったのに勉強ばかりではもの足りないと思ったからです。せっかく幅広い選択肢のある東大を選んだのですから、どうせなら触れ幅の大きなことに触れてみたい、だったら、もともと興味があったビジネスだろうと安易に考えて飛び込みました。
ご自分で代表に手を挙げたそうですが、中高時代にリーダーの経験はあったのですか。
千葉 いいえ。天文気象部でもバドミントン部でも、執行部にはいましたが、「長」という立場になったことはありません。自信があったわけではありませんが、どういうわけかやってみようと思ったのです。これもやはり大きな触れ幅に入るのかもしれません。高校時代の同期に会うと「千葉は変わったな」と言われることは多いです。このサークルでの経験は、その後の人生にも大きな影響を与えています。