理系最難関とされる東京大学理科Ⅲ類に合格し、大学1年で「ミス東大コンテスト」グランプリに輝いた上田彩瑛さん。インフルエンザワクチン接種後に突然、道端で倒れてしまい、自分に何が起こっているのかわからない悔しさから医師をめざすようになったといいます。在学中はタレント活動と両立させましたが、卒業後は脳神経外科の専門医をめざします。
TOPIC-1
学校のことをこなしつつ踊り明かした中学時代
中学受験をされています。
上田 私が通っていた小学校では、中学受験をする人が多かったため、何となく自分も受験するものだと思っていました。四天王寺学園を選んだのは、母親の出身校だったことに加えて、家から近くて通いやすかったからです。自分としてもおぼろげにこの学校に行くんだろうと思っていました。
中高時代はどんな生徒でしたか。
上田 一言でいえば、ずっと踊っている生徒でした。中学3年間はバトントワリング部に所属し、週3日の練習に加え、年に何回かある舞台発表前は連日朝昼晩の練習と、バトントワリング漬けの生活を送りました。3歳から近所の教室で習いはじめたクラシックバレエもずっと続けていましたし、それとは別にダンスも習っていました。女子校ということもあってダンスが好きな人も多く、ダンスの授業もあったため、当時の私は、学校ではダンスを率先してやる子というイメージがあったと思います。
勉強面はいかがでしたか。
上田 定期テストの前は部活がなくなるため、そのときにガーッと勉強するような感じでした。比較的宿題が多い学校だったこともあり、毎日の宿題をこなすことで日々の勉強習慣ができているような感覚はありました。ですから、一応学校のことはちゃんとしながらも、基本的には踊りっぱなしの中学時代です。
高校に入ってからは、何か変化がありましたか。
上田 中学から塾に通っている生徒もいて、その子たちに比べて勉強が遅れているような気がしたため、高1から塾に通うことにしました。学校も一応先取り学習でしたが、塾の方がもっと早く、高校で習う内容をすでに知っている生徒もいて、いいなぁと思っていました。とはいえ、趣味のダンスとバレエを続けつつ、踊りばかりの生活から少しずつ勉強の方へとシフトしていった感じです。高校入学を機にバトントワリング部を辞め、代わりに競技かるた部に入りました。こちらは週1回の活動ですから負担も軽く、百人一首を扱うため古文の勉強にもなるかもしれないとの考えもありました。
TOPIC-2
ワクチンの副反応が医師をめざす契機に

高校卒業後の進路は、どのように考えていたのですか。
上田 小学生の頃から算数が好きで、得意科目でもあったため、中学の頃は、理学部数学科のようなところで勉強するのも楽しいかも……と思っていました。ただ、四天王寺は医学部をめざす生徒が非常に多い学校で、あるとき帰り道が一緒になった国語の先生から「上田も医学部行くんか」と聞かれたことがありました。そのときは「そんなことは考えていません。向いているかどうかわかりませんし……」と返すと「そんなんやってみんとわからんやろ」と言われ、たしかに馴染みがないからといって、考えないようにするのは違うのかなと思ったことはありました。
それで医学部を考えるようになったのですか。
上田 そのときは医学部を少し意識しただけですが、はっきりと選択肢として医師を考えるようになったのは高1のときです。将来を考えた場合、資格のある職業を持っている方が女性としては働きやすいかもしれないと考えました。数学者の道も考えましたが、資格を持ってどこでも働けるようにした方がいいのかもしれないと思うようになりました。そんな風に考えるようになっていた高1の11月、インフルエンザワクチンを打った帰りに道端で突然倒れてしまいました。今思うと、たぶんワクチンに対する生理的な防御反応によって、血圧が低下し、脈拍も遅くなって意識が遠のいてしまったのだと思います。いきなり路上でバタンと倒れたわけですから、一緒にいた母親はかなりあわてたと思います。
それはショックでしたね。
上田 自分の身体のなかで起こっていることなのに、自分ではわからないということが純粋に怖いのと悔しいのとで、人体の仕組みを勉強してみたら面白いかもしれないと思うようになりました。これが医学部をめざすようになったターニングポイントだったと思います。
当時は、医学部受験についてどんなイメージを持っていたのですか。
上田 模試では偏差値が一番高くないと進学できないといった程度の認識でした。これから受験までにどれくらの勉強量が必要なのかという具体的な感覚があったわけではなく、とりあえず頑張らなきゃいけないだろうくらいの感じでした。
そこからずっと医学部志望だったわけですね。
上田 はい。ただ、通っている塾ではあまり出来がいい方ではなく、仲間たちについていくことだけで必死だったため、まずは遅れないように流れに乗っていくことだけを考えていました。塾の仲間たちは理Ⅲ(東京大学理科Ⅲ類)とか京医(京都大学医学部)といった進路を口にしていましたが、私自身は、東大はおろか関西から出ることすら考えておらず、大阪大の医学部に行けたら嬉しいな……くらいに思っていました。